· 

家族との別れ・母 後編

 

家族との別れ・母49日のつづき‥

 

次の日は式の用意や弔問客への挨拶で私は母の様子を見ることはあまりできませんでしたが、弔問客のところへ行って会話に入っているようでした。

 

母の様子に大きな変化があったのは、その翌日の火葬場に行った時のことです。

 

これから遺体が火葬されるという直前に突然母が

『嫌だ!!!』 

と大きな声で言い始めたのです。

 

それまでは、機嫌よく母の兄弟達の間に立っていたり私の横に来たりと肉体にない自由を楽しんでいるようでしたが、自分の肉体が火葬されることがわかった途端に私の横で『嫌だ!どうして⁉︎』と大きな声で怒り始めました。

 

母が肉体を離れてからはずっととても楽しそうにしていたので、この激しい怒りに私はとても驚きましたし、

母の遺体の前で最後の別れをしている親戚一同が悲しみに暮れている最中にその亡くなった母が私の横に立ち大声で怒っているのです。

 

「え?死んでも怒るの?」と、私は目の前の現実の母の遺体とエネルギー体のの母の怒りの様子の間で混乱しました。

 

私は母に「お母さん、もう自分でも気がついていると わかっていると思うけど お母さんは死んでいてもう身体には戻れないよ。身体は腐っていくからこのままにはしておけないでしょ?」と伝えると、母の怒りは消えないものの納得はした様子で頷いてくれました。

 

 

遺体が焼かれ遺骨になった後も、母は母の遺影を持つ私と一緒に歩いたり、兄弟の側で歩いたりしていました。

式がすべて終わって私がホテルに行くと母は一緒にいましたが、肉体も火葬されすべての式も終わりみんな帰ってしまったので機嫌が悪そうです。

 

時々私のところからどこかへ行くようでしたが、その日の終わりにはベッドに一緒に寝ることになりました。

が、朝起きると母のエネルギーはどこにも感じられませんでした。

 

その後、奈良の自宅へ帰って来てから母をたまに感じることはあっても、この時ほどにはっきりと見たり感じたりすることはありませんでした。

 

 

母が再び現れたのはそれから1か月半後の49日の法要の時です。

 

お坊さんのお経が始まった瞬間に母の遺影の前から白い螺旋階段がバァーっと広がり天井を突き抜けました。

螺旋階段の所々には山伏のような格好をして天狗のお面をつけている男性が数人立っています。

 

一番下の段の遺影の前で母はとてもニコニコと楽しそうに立ち階段を上って行きます。

最初の山伏に会うと手を繋ぎとても嬉しそうに楽しそうに一緒に階段を上がっています。

こちらを振り向くこともなくどんどん昇って行き、母が階段を上り切ると階段はいつの間にか消えて行きました。

 

娘の私から見た母の人生はもちろん沢山の幸せも苦労も数えきれないほどあったと思います。

私が母が幸せかどうかを判断することはできませんし、母以外の誰もわからないことです。

 

でも、母が見せてくれた最後の昇天の姿はとてもにこやかで楽しそうで、これから始まる新しい『生』にワクワクしているかの様にも見えました。

 

 人は死ぬとその人生を癒す為に地球時間で10〜15年位『癒しの場』に行くそうです。(人によってはすぐに転生することもあります)

きっと母は今頃『癒しの場』を謳歌しながら、次の転生をワクワクしながら待ち望んでいるのではないかと思います。